特定社労士「労働者代理人」の視点

大阪・梅田で「労働紛争解決(あっせん等裁判外紛争解決手続の労働者側代理など)」「就活」「転職」を支援するリクルートグループ出身の特定社会保険労務士が一筆啓上!すべての「働く人」に役立つ知識と知恵をご紹介します。

“労働者側社労士”と言ってもアプローチは多様。改正社会保険労務士法施行だけではない役割変化。

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労働相談を受ける機会も増えてきて、最近感じることですが、労働紛争を通じて労働者が求めるものが、権利の実現、具体的には損害賠償請求や未払賃金支払の請求だけであるならば、問題解決はそんなに難しくありません。解決手法は様々ありますが、どれを採ってもなんらかの決着は必ずつくわけです。

 

ただ実際には、損害賠償や未払賃金の請求を通じて「相手を罰したい」「相手に責任があることを認めさせたい」という目的の相談者の方が、マジョリティでしょう。

 

しかし、この目的は完遂されることはありません。断言しておきますが、過度に「他罰的」「他責的」な労働者の欲求が満たされることは決してない。なぜなら、「相手を罰したい」「相手に責任があることを認めさせたい」労働者がのぞむ罰の重さにはキリがありませんし、仮に損害賠償が要求どおり得られても、相手が内面で「自分が悪い」と認めたかどうかなど、わからないからです(殆どの場合、相手がそれを認めることはない)。

 

もちろん金銭等による解決が、一定の区切りとして機能しているのは間違いありません。ですからその「一区切り」のために、労働者として有している権利を主張し実現するのは当然のことと言えます。ただ、それはそれ以上でもそれ以下でもない。これをハッキリと言うことができる社労士は(弁護士も)、非常に少ないと思います。本当はそれが一番大切な事なんですけれど…。

 

その一区切りのために採るべき方法が、労働審判や訴訟であるのか、コミュニティ・ユニオンによる団交であるのか、あっせん等のADR活用であるのか。それは解決に要する時間や、一区切りのつけ方についての労働者個々の好みによって選択されれば良い問題だと思います。

 

これらの紛争解決手法について言えば、社労士はこれまで、一部の特定社会保険労務士があっせん等の代理人として関わり、さらに極少数の特定社会保険労務士労働審判本人申立ての後方支援を行うという役割に限られていました。

 

平成27年4月1日以降は、改正社会保険労務士法が施行され、代理人弁護士の下で、社労士は「補佐人」として、社会保険や労働事件に関する訴訟や労働審判における陳述をすることができる様になります(個別労働紛争における特定社労士の民間ADR単独受任可能紛争目的額の120万円への引き上げも27年4月1日施行。一人社労士法人制度の創設のみ28年1月1日施行)。

 

東名阪の様な大都市圏はともかく、労働事件等に通じた弁護士の少ない地方では、特にこれは有効に機能するだろうと予想されます。もちろん労働者側とは限りませんが、また少し社労士の役割が変化してくることでしょう。私自身も機会があれば、この「補佐人としての陳述権」を活用してみたいと考えています。

 

ただ、私個人としては、そうした法改正による役割変化以上に、近年の労働問題の取り上げられ方や、一層の少子高齢化の進展の中で、社労士がなすべきことはまだまだ他にもあり、そちらにも注力したいという思いがあります。

 

労働紛争やメンタル不調の原因に直接働きかけてそれらを回避していくためには、ある程度の規模以上の組織に限定されるでしょうが、企業のサポートというよりも、人事労務のフロントラインに立つ方々を、プロフェッショナルのチームがサポートするというアプローチが最も効果的です。既述の事後の紛争解決手法を「対症療法」とするならば、こちらは限られた「病」であっても「根本治癒」に繋がるアプローチというわけです。

 

社労士は労務管理を通じたトラブル予防をよく口にしますけど、実際は今まであまり社労士が真剣に取り組んできたとは言えないテーマです。この「根本治癒」のアプローチについては、これから是非形にしていきたいと考えています(計画書も既にありますけど、まだ内緒)。

 

労働紛争の当事者である労働者、「労働者側」に立つ弁護士や社労士の方々の中には、「紛争の顕在化」をどんどん推し進める以外に、労働問題の発生、労働紛争を減らしていく道はないのだという主張をされる方がいます。そういう考えのあることは理解しますが、それは戦争を無くすためにどんどん戦争するしかないというのと、本質的にあまり変わりがありません。

 

また、社労士や弁護士はそういう考えを相談者に吹き込むことで、過度に「他罰的」「他責的」な人間を増やしてはいないか。自己の発言が矛盾を孕んではいないかという絶えざる自問自答を行わなければ、単なる「マッチポンプ」と揶揄されても致し方ないでしょう。

 

社労士が「労働者側」と名乗ったり、「使用者側」と称したりすることについて、「それは適切ではない」などと下らないことを言う社労士もいますが、「労働者側」とか「使用者側」なんていうのは、私はただの「リングネーム」だと考えています。仕事のウェイトに応じて、どちらを名乗ろうが、使い分けをしようが大した問題ではない。大事なのは本質です。社労士法に立ち返れば、「事業の健全な発達と労働者等の福祉の向上」という両義性を、元々内包しているのが社労士です。だからこそ、どちら側の依頼であっても、利益相反にならない様に留意しながら、「公正な立場で誠実に業務」を行う。それ以外に本質はありません。

 

その「本質」のために、仮に労働紛争であれば、幾重にも「合意」と「和解」のオプションを用意しておく。それこそが問われるべき真の社労士の力量ではないか。そう私は考えます。

 

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